Hermsmanを目指す生き物の呟き

日々の気づきを人生の教訓へ昇華させるための呟きブログ

いつから自分は、なりたいものに素直になれなくなったんだろう

このブログは、私が日々の生活の中で生まれた考えを、

人生を良くするための教訓に昇華させんとするために書くものである。

内容は主にマンガやYouTube、映画などのサブカルから起因する

自分の思うままに書くだけなので、勝手に共感してくれると嬉しいだけだが

頭ごなしの否定は私がヘラるのでやめてほしい

 

つい先日、とあるVtuberの3D配信を見て、その本気度に度肝を抜かれた。

彼だけでなく、その環境にいる配信者はみな一様に、

配信者としての人生を楽しんでいるように感じる。

そう感じられるのは、彼らの活動だけでなく、

それを見る人々もまた、心から楽しんでいると感じられるからだろう。

一部の熱心なファンの作る動画の熱意とセンスには圧倒され、

影響を受けやすい私にとって、沼へ引きずり込まれるには十分だった。

配信の随所で語られる、彼らを取り巻く環境の温かみを知るだけで

いつしか現実社会から乖離した世界で、

自分の内面をさらけ出して、それを見る人々を楽しめられたら、

どんなに心地が良く、活動を楽しめるだろうと考えずにはいられない。

 

だがどれほど憧れを持とうとも、「選ばれる」という現実がそこにいる。

特にバーチャルの世界は、新興分野であるにもかかわらず

エンタメとしての地位を急速に確立しつつあり、

そこには「奇抜さ」「継続」「運」が関わるといわれている。

実際、Vtuberとして一定数の人気を獲得している配信者は

いずれもこれらの条件を満たしていると考えられるだろう。

 

ここからがようやくの本題だが、

いつから自分は、好きなものほど目を背けてしまうのかと考えさせられたことだ

というのも、Vtuberとして活動する彼らの配信内容は、ゲーム配信以外は

個人的な趣味や特技を一つの作品レベルに成長させていることが多いからだ

歌や絵などオーソドックスなものから、音声作品やラジオなど

自分の特技を生かしたバリエーションは三者三様である

 

これを自分に置き換えてみると、びっくりするほど少ないことが分かったが

とっつくタイミングは確かにあった

SF映画をみてイラストないし設計に興味をもち、

通っていた塾の先生や部活のメンバーには声をほめられ

文学の授業では独特の感性があると評価(?)された

 

このような経験は自分だけではなく、これを読むあなたにもあるかもしれない

だが現在に至るまで、それを続けているだろうか

少なくとも私は、他にやるべき最もな理由をつけて自身を拘束していた記憶がある

なぜそんなことをしたか

それは自身がクリエイターになり得る可能性に気づかず

消費活動が当たり前だという先入観を作ってしまったからかもしれない

 

特に私はSNSで個人の創作物に触れる機会がなかった

SNSの面白さに気づいたのは、大学進学で東京に出たときだろう

周りの友人には当たり前に創作を行うものはいなかったが、

そのような環境の存在を目の当たりにしたのだ

 

だがタイミングが悪かった

そのころの私は自己嫌悪が激しく

自分など何も生み出せなければ認められもしないという思考が

当たり前のように脳内を占めていた

おまけに生来の面倒くさがる癖が相まって、

何も熱中しないまま3年が過ぎ、今まさに焦燥感と無力感によって

再び自己嫌悪と絶望の中にいる

 

現代は「個人の体験が価値を生む時代」といわれた当初はピンとこなかったが

ネット配信者を見ていると、時代の変化をダイレクトに体現していると実感させられる

にもかかわらず

私は今でも、自身の情報を他人に見られるのを恐れている

難しく考えているのだ。「とりあえずやってみる」が怖いのだ

一方で、今の私のように、何もしなければやはり後悔することを実感している

 

「もっと自分のプラスの感情に素直になれたら」

 

「いまはやるべきことがある」「どうせ自分なんて」

こんな思考が支配して、生み出す側ではなく、常に消費する側に立っている

 

だがやらなければ、後悔するだけだ

捨て身でやってみれば、新たに見える景色があるかもしれない

内向的だと自覚している。ならばもっと自分の感情に目を向けよう

欲望に素直になろう

欲望こそ原動力であることを実感するために、行動しよう

 

人生は、しょせん壮大なヒマ潰しなのだから

 

あなたの貴重な時間を、この記事を読むことに充ててくれてありがとう

あなたの時間がすこしでもいいものになることを信じて